初めまして

お題「誰にも信じてもらえない体験」

 

私の亡父は彼が三歳の頃に母親を亡くしている。
その後私の祖父は後妻を娶ったので私の父の人生はちょっと変わっている。

まあ、それはともあれ、私が中学生の頃に亡父の実母を昭和六年に荼毘に付した場所を探すことになった。
私の祖父が後妻を娶ったためか、私の実の祖母の遺骨が菩提寺にもなかったからである。

三歳だった亡父のその時の記憶は、
当時は我が家の所有していた山に遺体を運んで、木材を積み上げて焼いたこと、
ナナカマドのみがやけに赤く見えたこと、
行きも帰りも馬の背に揺られていたと言うこと、
この三点だけである。

その記憶を元に今は別の所有物になっていた山に入った。
ナナカマドを見つけ、そこから斜面を降りてやや平坦な雑木林に出た。
こんもりと円形に膨らんでいる地形がたくさんあったので次々に掘ってみた。
でも数が多く、あてどもない掘削作業は疲労と諦め感を増幅した。
周りを見たらナナカマドがたくさんあってどのナナカマドが三歳児だった父が見たナナカマドか判別しようがない。

諦めて、来た道をもどり丘に出た。
そこは畑になっていて、農作業をしている老人がいた。
その老人が
「あなたは○○君ではないのか。私は○○だ。なぜこんなところに大勢でいるのだ?」

と話しかけて来た。
亡父もその老人を覚えていたらしく親しげに話していた。

その老人が

「ああ、それなら場所を知っている。ついておいで」

と言うのだ。
半信半疑でまた坂を下り先ほどの雑木林に出た。
「ここだよ。間違いない。掘ってごらん」

とその老人が言うので私が掘った。
なんと正解だった。
ピンポイントで一度の掘削で幼い頃に父が使っていたであろう茶碗が出て来た。
そのほかにも色々と陶器類がでた。

お礼を言おうと振り向くとその老人はいない。
出て来た陶器の類を元に埋め戻し、私たち家族みんなでそこで線香を焚いて合掌してから戻った。
畑にはその老人はいなかった。

その老人の家は昔の場所にはなかったので後ほど電話帳で調べてお礼を述べ、そのお宅を訪問しようと決めて、我ら家族は帰宅した。

数日後に知ったのだが、その時の老人はその日にはもう亡くなっていたと言うのだ。
私たちには普通の人間に見えたし、足もあったし、息遣いも伝わった。
でも、その老人はこの世の人ではなかったのだ。

だから一直線に本当の祖母を荼毘に付した場所に行けたのだろう。

その数日後に、祖父の家で実の祖母の遺影写真が倉庫の奥で見つかった。
またその数ヶ月後に、菩提寺から実の祖母の骨壺が無縁仏の中から偶然に発見されたと連絡があった。

私には、このような「物理的には証明できない実体験」が多くあるのだ。