NPO法人のフェイスブックへのコメント①

突然のメッセージ送信をお許しください。


幕別町立白人尋常小学校で「青い目の人形を授業でスケッチをし、クレヨンで大きく描いたので先生からお褒めの言葉をいただいた」と証言してくれたY様から、私先ほど御NPO法人の朗読劇のパンフレット賜りました。

 

実は私の父がこの人形には『MARY』と明記されていたことを証言したのです。
父は生涯で4度、白人小学校の青い目の人形と出会っています。 


1度目は児童の頃に第五代松田校長が年に一度だけ児童に披露した開校記念日の学校の講堂。


2度目は、昭和20年白人尋常小学校代用教員時代の理科室の教材棚(愛国婦人会度国防婦人会の旗度一緒に展示保管)で紫外線を浴びていた時代。
その後、児童増加で理科室が職員室になり、「青い目の人形」は階段下の倉庫に格納されたそうです。(当時の公務補さんから父が聞いたそうです。) 


3度目は開校80周年記念運動会会場準備(運動会前日の1977年6月4日土曜日)の日の午後のことです。
80周年記念運動会と言うことでPTA会長さんの発案で本部席テントを紅白幕で囲む事になったらそうです。
当時白人小学校教頭だった私の父(白人小学校に教員としては二度目の奉職)が紅白幕の格納場所を公務補のコメントTさんから知らせてもらい、Tさんと一緒に階段下倉庫へ向かったのです。
その時、一番奥に見覚えがあるケースがあったので、ケースごと出したところ、昔は理科室に展示してあった人形だったそうです。
その時もやはり愛国婦人会と国防婦人会の旗が出てきたそうです。
でも、青い目の人形を護ってきた二つの旗がその後どうなったかは、私の父は「確かに両方の旗は一緒に出てきたが、その後はわからん。捨てたのだろう」と…そのような口ぶりでした。


運動会前日準備作業が終わり、校長室に運んでおいた人形について、当時の松田肇校長に伝え、校長から「人形を剥け」と言われ…仕方なく衣服をとると間違いなくMARYと確認できたそうです。
「ほ〜ワ〜さんは横文字が読めるのか」と言われたそうです。


4度目は、私だけに医師から実父が全身に癌が転移し余命を告げられてからでした。

その後の春の彼岸(私の三男坊の高校合格報告と三男坊の誕生日を祝った翌日の朝)に戻らない旅へと父は…

 

なぜ、白人小学校の人形の「MARY」が隠され、あの人形が新たな名前をもらう人生を歩んできたのか。
それには醜い大人の虚栄心が見え隠れしております。
ですが、残念ながらそれも事実です。
この事実を知る者は80周年記念の発見当時を知る者とその詳細を亡父から聞いた私だけになりました。

醜い大人のエゴもまた真理や史実を見誤らせる原因の一つです。

幕別町文芸誌には物語として投稿しましたが、醜い部分は伏せました。

 

貴法人の活動のパンフレットを見させていただき、今後、後世になぜ二つの名前があるのかを子どもたちや教師に知らせる義務が私にはあると感じさせられました。

何かの形で世に出したいと意を改めたところです。
しかし、実在した大人のエゴをむき出しにしてノンフィクションでは故人を冒瀆する事になるでしょう。

やはり、「物語」って形式が良いのかなとも思っているしだいです。

 

突然、長々とメッセージを…
お詫び申し上げます。

 

NPO法人の朗読劇が大盛会とならんこと、また、出演した人々と会場の人々が愛で満たされる事を御祈念申し上げております。

 

私も元教職の身でした。
学生時代の恩師からもらったライフワーク「真理とは何ぞや」は未だ解決できません。
だからライフワークかもしれないです。
今は「愛する心で愛する心を育む」駅にて途中下車しております。