プレイバック パート2

「坊や〜ぁ、いったい、何を、教わってきたの? 私だって 私だってぇ〜… 疲れるわぁ〜」

 

山口百恵さんのヒット曲である。

NHK紅白歌合戦では歌詞の中の「真っ赤ねポルシェ」が「真っ赤クルマ」に代えられていたらい。

 

July/17/1980

十勝毎日新聞社の9面

昭和2年に日本に大量の贈られた青い目の人形の記事。

日本に届けられた経緯は「今よりも日米の絆が強かった」からとの立場のようなら読める。

 

ええ?

そんなにも日米が親密ならばギューリック夫妻はこんなにも大量の人形に「次世代を担う子どもたちの心に愛と信頼と平和を願う心情」を託しただろうか。

 

我が国の言葉でも日本ならば常識ではなかろうか。

「気のおけない仲」とはどんな仲なのか。

 

青い目の人形が大量に贈られてきた時代は「日米がお互いに気遣いしなければならないという」深刻な問題を抱えていたのだ。

 

それを小学校校長が…

それを対戦真っ只中の「鬼畜米英」戦前教育を授かった世代の校長が知らない?

 

坊や〜いったい、何を、教わってきたの?